残暑厳しい毎日ですが、いかがお過ごしですか?八月に一度涼しくなって喜んでいましたが、夏休みの後半から、30度を超える日が続き、ウンザリされておられる方も多いと思います。私もそのウンザリ型で、早く涼しくなって欲しいと願う毎日です。
しかし今月の「いのこう通信」が皆様のお目に留まる頃には、きっと秋風が頬に心地よい季節になっていることでしょう。
先月、お誘いしました「月見酒」如何ですか?虫の声を聞きながら飲む酒は格別に美味しいですよ。土曜日の夜なら喜んで参りたいと思っております。陶淵明さん漢詩のように、「杯を揮って孤影に勧める」も由、皆で、わいわいやるも由、私は、どちらにしても行くつもりです。宜しければお付き合い下さい。紙面を借りて皆さまにお誘いいたします。
それでは、前号でお約束しました『美の脇役』に紹介されている中で、建築に関連ある「島原角屋の桧垣の間」をご紹介させて頂きます。
まずは本文をお読み下さい。(京大教授 猪熊兼繁)
『京都島原の角屋(すみや)のお座敷は、重要文化財にも指定された有名な古建築で、これについてはことさらもうしのべるまもないが、私は二階の奥ゆかしい「桧垣の間」はまことに不思議な部屋だと思う。
桧垣(ひがき)とは桧の薄板を網代(あじろ、左右斜めに組む)方に編んだものを言うのであるが、この桧垣の間にはこの様式を取り入れて意匠されている。
古くはこの間の北側の、現在は床や棚になっているところにも桧垣形の戸があって、その奥は物置であったことは「一目千軒」古い書物にも見えている。
それはさておき、試みにこの間の西北隅あたりにすわって、痛飲してほしい。この間は、南隣の青貝の間などと違って床棚もないころには、宴席のための部屋ではなくかえって、他の間で酒宴をしたあとこの間にきて、静かにふたたび酒盃を傾ける場所であったと思う。
それで、この間では特に深酒をすればよい。酔えば、酔眼もうろう。昔の粋人墨客なら、かならずや異国の詩歌を吟じたであろう。すると四角なこの座敷が、グルグル回る。東の障子がユラルラゆれる。立てば足元が危ない。
まさに現世とは思われなくなってくる。
ウルサイ浮世は消えうせよう。なんと不思議な世界ではないか。それも、そのはず。この部屋の秘密は、写真でご覧の通り。天井の竿縁(さおぶち)は四角いお座敷の平面とは違って、斜め網代の桧垣形。これが人間の目に錯覚をおこさせると同時に、東側の障子の桟も、上と下の腰とは同じく桧垣形。そしてその中央は、縦に曲線、横も二本一本。これではまさに幻惑する。ユラユラとなる。日ごろ見なれた天井と障子とではない。よくも、四角い日本座敷の型をこれまでに、意匠したものだ。
六条三筋町以来、三百数十年の長い家計を現代まで伝えられるこの角屋の中川家歴代の中には、これまでの日本建築に創造を加えられる偉大な感覚の持ち主がおられたことであったと、深くおどろいている。現代の建築芸術家は、はたしてこれを理解されるであろうか。』以上です。
[島原の角屋]の解説
『京都市下京区新屋敷町にある。島原のおこりは室町時代にあったが、寛永18年(千六百四十一年)に肥前の島原で天草の乱があり、京都のこの地が肥前の島原に似ていたのでこの名が出たと言う。角屋の現在の建物は天明以前のもの。網代の間、緞子(どんす)の間、御簾(みす)の間、孔雀の間、青貝の間、など構造、装飾から配置の器まで当時の外国文化趣味がうかがわれる。徳川時代の民家建築の傑作で、昭和二十七年重要文化財に指定された。桧垣の間の襖は蕪村筆の夕立ち山水の図、長谷川等雲筆と言われる。』
同じく本文中より引用しました。
おんぼろ山小屋なら、桧垣の間のような趣向はしてありませんが、雨漏りの形がついた天井や、立て付けの合わない障子、節のある柱を酔眼で見るのと、同じような効果が期待できるのでは?
また、現在進行中現場、「T邸」二階の和室天井板の一部を網代天井にしています。
(桧ではなく杉の網代ですが)
ゆらゆらと物を見るといいますと
先日、夏草刈に山へ行ったときの話しです。作業のあと、ビールを飲んで杉林に仰向けに寝転んでいましたら、杉の梢が風に揺れ、葉と枝の隙間から入る光がキラキラと輝いて、超大型の万華鏡の中にいるような気がしました。(お酒の酔いは?関係ないと思いますが)
奈良東大寺戒壇院近くの住宅地の中に、住まいをそのまま店にした、静かな喫茶店があります。カウンターに色々な万華鏡が陳列されてあり、手にとって見せて貰えるし、販売もされています。とても綺麗で、コーヒータイムが、楽しかったですよ。
(行かれる方は場所お教えします)
というところで今月も、ぼろの出ない内に、この辺で終わります。
やっぱり私の受け持ちのコーナーはマンネリですねー、
残暑のみぎり皆さまお体ご自愛下さい。
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