「吊りらんぷと電灯笠」のお話
やっと春らしくなってきました。
今年は、桜の花の無い入学式が、あちらこちらで見られ少し淋しい思いをされた方が多かったと思います。
「さまざまな こと思い出す 桜かな」
有名な芭蕉の句ですが、今年の春は、花より、なごり雪の印象が強く残りました。
3月13日の日曜日に京都国際美術館に河井寛次郎展を見に行きました。曇り空が雪に変わり、帰りには傘をささないといけないような雪になり、寒い京都の町を円山公園から八坂神社の境内を通って、大谷祖廟の方へ足を向けてみました。と、いいますのもこのあたりで、今年も行われている、花灯路を見に行きました。
花灯路とは、東山山麓に連なる青蓮院、円山公園・八坂神社、清水寺の散策路約4.6kmを、花と灯りで彩るイベントです。 寺院の門前には、前衛的なデザインの生け花が古い門の扉をバックにライトアップされ、近年忘れている、都の風情の艶やかさを見せています。
私が足をのばしたのは、お世話になっている、GENKIKAI吉田氏がプロデュースされたチームが出展された灯篭を見に行くのが目的でした。大谷祖廟の石畳道150mの両側に200期設置されてあり、その光源は、阪大の分子プロセス工学研究室で開発した希土類錯体(有機体を発光さす粉末)を和紙にすき込んで和紙自体を光らすそうです。(難しい事は解りませんが)とにかく、他の灯篭とは違う、ほんのり光る様は幻想的で、祖廟の石畳の道が、この世とあの世の結界に続く道のようで、何となく、さ迷うように通りました。おりしも、なごり雪が傘に積もり、遠いむかし、何処かで見覚えのある情景に感じたのは、何故なのか、不思議な気がしています。
八坂神社を出て京阪四条へ向かって歩きかけた時、祇園バス停の前に、京都祇園らんぷ美術館の並びに骨董屋さんあり、ぶらっと覗いて見ました。その日、一番目についたのは、もうお分りでしょうが、吊りらんぷと電灯笠でした。乳白の、お皿のようなシンプルな物から、胴体にウエーブのひだ襞を付けた物や、縁の部分が昔の金魚鉢のようなデザインとか、小さく波打たせたり、カットの技法で飾りをつけたりされています。色ガラスも単色だけではなく複数の色ガラスを組み合わせた、綺麗なものが沢山ありました。思わず買おうかな?と思ったのがありましたが、今日のところはぐっと押さえて我慢としました。店主と話しが弾んで時間の経つのを忘れてしまいました。最後に店主が薦めてくれた、雑誌で吊りらんぷと電灯笠を、特集してある「骨董緑青」のVol.13を買って帰りました。
かく言う私の家は殆どの照明は、2年前の改装工事の時に白熱球照明に変えました。中でも気に入っているのは、ダイニングの電灯笠です。笠の縁のところが金魚鉢のようなウエーブのフリル模様(細工が細かい)になっていて、乳白色が薄いガラスの中に混ざり合って模様を作っています。イングランドのガラス装飾品店の倉庫棚に百年近く木箱に入れたままにしてあったのがたまたま出てきたそうです。いわゆる新品骨董品です。東寺の近く、西洋アンチーク家具の店で買いました。値段は、既製品の照明器具(メーカー品)より安かったです。
今は何につけ、機能優先で、デザイン的に劣るものが多いですね。
我が家の電灯笠の機能はシンプルです。点灯はパッチとスイッチを捻るだけですが、デザインは寛ぐときに、いつも、何とはなしに眺めて、楽しんでいます。
世界中で日本の家庭ほど蛍光灯の白い灯りを使っている率の高い国は無く、町も田舎も、窓から目に入る明かりが、白々として、何となく温かみを感じなくなりました。仕事場では明るい蛍光灯ですが、住まいの寛ぐ空間では白熱球色が落ち着きます。10畳で60Wの電灯一つです。読み物をする時はスタンドのライトを補助にしていますが、気持ちが落ち着くと、夏も暑くありません。白熱球は暑いと思っていましたが気持ちが和み、暑さを感じません。
床の無垢のクルミ(リスの好きな)のフローリングが素足に心地よく、檜の腰板とカウンターの建具に吉野の手漉き和紙を使いました。入り口の建具は殆ど引き戸にし、通風のため無双の通風口を付け、透明ガラスで部屋の閉塞感を少なくし、開放的にしました。昨年の夏は猛暑でしたが、大阪市内の我が家で、エアコンを使わず充分過せました。
話しが何処まで脱線するの?? いくら花灯路の明かりが頼りでも、元の道に戻れそうにありませんのでこの辺で終わります。 |