楽しい家づくり 『大阪の街並みは今……』
御堂筋の銀杏も色付いてきて、いよいよ秋深まってきたという感じです。
ライトアップされた舗道に、オープンカフェができ、歩く人の直ぐ横で、若いOLのグループが、コーヒーを飲んでお喋りをしています。御堂筋も随分、趣が変わってきました。
また、梅田のシンボルであった阪急百貨店も、解体工事がほぼ終わり、とうとう姿を消してしまいました。その解体工事を請け負っていたのが、大成建設でしたが、工事途中で大林組に変わったそうです。昔からの常識では、阪急は竹中工務店と決まっていたように思いますが、これも時代の流れでしょうか。
時代の流れといえば、阪急、阪神の合併も、関西人には何か個性が無くなっていくようで淋しい気持ちです。これからは、梅田へ行く度に、様子が変わっていくでしょうね。
最近、大阪駅の周辺のオフィスビルの開発が猛スピードで進んでいます。日経不動産マーケット情報の集計によりますと、今明らかになっている計画でも、20万u以上のオフィスが生まれるそうです。大阪が、元気になるんでしょうか?
しかし、元々大阪は中小企業が支えてきた歴史があります。これも昔話にならないように、頑張りたいですね。
話は変わりますが、先日工務店関係の業界紙が関西を主流にした新聞を立ち上げるとの事で、取材の座談会に参加してきました。
正に、「友が皆、我より偉く見える日」でした。
忙しいので、参加を躊躇していましたが、他社さんの生の声を聞いて参考になりました。
帰りに和菓子屋さんの建物が新築されてその奥に、千利休の縁の地として、最近建てられた茶室を、見せていただきました。お店の奥にありました。見学の後、カステラと「おうす」をいただきました。
この茶室は、利休が切腹した後に取り壊された大阪屋敷の茶室を歴史資料から、京都繊維工業大学の中村昌生名誉教授が監修設計され、当時の形に再現されたそうです。南側に御陵があり借景が大変綺麗でした。
雨の日の夕暮れで暗くなって、ライトアップされていましたが、照明が明るすぎて、茶室を鑑賞するには如何なものか?と感じた次第です。
「陰翳礼讃」の著者、文豪谷崎潤一郎が見たら怒り出すのではないでしょうか、今日の茶室の見学に際し、わびとさびに付いて、以前に読んだ本から、その定義をご紹介したいと思います。
『一言にして言へば、さびは無を根底にしているのに対して、わびは、有と有との対比の観念である。巨大な物に対する狭小、派手に対する地味、豊富に対する欠乏、豪奢に対する謙虚でありながら、どこかに自己の優越を感じているというところにわびがある。利休が無を根底とするさびまでゆけずに、わびに終ったのは、信長、秀吉といふ独裁的武断政治家と直接結びついたことに由来する芸術家の必然の運命であった。
そして今日においても、政治と芸術、政治家と芸術家との交渉の仕方、関係の仕方のひとつの範型としての利休のわび、わびずきの在りかた、またそこから當然に由来した切腹の仕方を考えうるだろう。一般には、さびと殆ど同意語として使はれているわびの性格を右のように規定し、それを歴史の中で考へたとにいふ点に、この書(南方録)のいささかの特色があるといへるだろうか。』
唐木順三著「千利休」。カッコ内文は本文より引用しました。
「南方録」は茶道の本ですが、私は中村直勝著の「南坊録」は読んだことがありますが、指南書的に読まないと意味が解らないことがあってそのままにしてあります。
新築直後とはいえ、綺麗なお茶室でした。
今から420年前にこんな綺麗な材料が使われていたのか? 疑問です。
最近は、粗末な本物の材料を揃えるほうが難しいのか? 有っても使いこなせる職人がいないとおもいます。
とにかく、いくら天下の大阪城内の利休屋敷といえども、もっと素朴な材料が使われていたと、私は思いますが皆様どう思われますか?
今年一年、いのこう通信をご愛読ありがとうございました。
来年も 『楽しい家づくり』 独断的ひとりごとにお付き合いをよろしくお願いします。
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